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#にのへミステリー #歴史 #會輔社

にの歴文(にのネット)

2016.01.29

#にのへミステリー #歴史 #會輔社
25年ぐらい前に、八戸市で行われたフリーマーケットで見つけた写真。出店者の親父さんは私に向かって言いました。
「その写真に写っているのは西郷隆盛だ」
私のイメージしている西郷隆盛はその写真には写っていませんでした。しかし、私の興味を引いたのは、西郷隆盛という響きよりも実は写真の裏に書いてある文字でした。
・ 西郷隆盛 隆道・西郷吉之助 隆永・生保○會輔舎 (○は紙がはがれて読めない)・  会輔社の文字が私を惹きつけました。出店者に譲ってくれるように頼んだのですが、どうしたわけか応じてくれません。仕方なくコピーをさせてくれるように説得し、近くのコピーショップでカラーコピーしたのです。写真の詳細を聞いたのですが、俄には信じがたい内容でした。
 西南戦争に呼応して挙兵を企てた南部藩士の関係者(三戸町か田子町の旧家)が所有していた写真だというのです。
 一般的な知識として南部藩は佐幕派であり、薩摩や長州から見れば賊軍なのです。敗者の南部側から見れば、決して彼らと呼応して挙兵することはないと考えていたのです。
 ところが幕末期の会輔社の薩摩や長州藩士との交流、明治維新後に版籍奉還をいち早く成し遂げた賊軍南部藩の動き、田子町で西南戦争に呼応して挙兵しようとした真田事件などを調べるに従い、会輔社のメンバーと西郷隆盛が一緒に写っている写真が存在しても不思議ではないと確信するに至りました。
 真田事件とは、1877年(明治10年)に西南戦争が起こったときに田子の真田大古が兵を挙げてこれに呼応しようとした事件です。このときの会輔社の代表は小保内定身でしたが、彼にもいろんな方面から誘いがあったようです。しかし彼は「私の体を投げ打つのに勧誘は受けない。西郷が 皇室に対して不忠の心があれば別だが、だた政府内の意見が異なったものである。」と言って血気にはやる社員をたしなめたそうです。
 もしかしたら、定身は西郷に蜂起をを思いとどまらせようとして会輔社から使者を出したのかもしれません。情報収集だった可能性もあります。多くの可能性を1枚の写真は語りかけています。
 写真について調べた範囲で説明すると、右・西郷隆盛と記されている人物は永山弥一郎で西郷の影武者と言われている人物です。彼は西南戦争で西郷と行動を共にし、最後は買い取った農家に火を放ち自害しています。中・西郷吉之助と記されている人物は誰か不明です。吉之助とは隆盛の別名なはずなので判断に迷います。 (この人物が西郷隆盛かもしれないと考えています)左・小保○○ 会輔○と記されて人物であるが、会輔社の小保内某と想像されます。
 いずれにしても、この写真の真実が解明されることを期待します。 http://airinjuku.jp/kikou/kikou11.htm

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