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福井県はかつて漆掻きの中心地で、「殺し掻き」と呼ばれる現在の採取法や道具を考えたのも越前の人たちでした。

株式会社浄法寺漆産業

2017.05.02

福井県はかつて漆掻きの中心地で、「殺し掻き」と呼ばれる現在の採取法や道具を考えたのも越前の人たちでした。

福井から全国各地へ出稼ぎへ行き、はるばる岩手まで来て漆を採取していたのです。中には浄法寺を中心とする岩手県北、青森県南に移住する人も大勢いました。それだけ当地の漆の木が豊富で、良質な漆が採れたということです。

そのうち中心地であった福井の漆掻きは廃れ、奈良などの漆産地も衰退していきます。越前の伝統を受け継いだ浄法寺がその役割を担っていきます。

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福井新聞 5月1日論説

越前漆器協同組合は、産地のブランド価値を高める事業に力を入れている。その中で注目されるのが、今春から本格化している漆の木の植栽だ。昨年の420本に続き、千本を鯖江市河和田地区の山林に植えた。この先も植樹し、10年後には計1万本に増やす息の長い事業が展開される。

 植樹の狙いは、第一に産地の抱える原料の課題がある。現在、越前をはじめ国内の漆器産地で使っている漆は、98%以上を輸入に頼っている。国産漆は岩手県二戸(にのへ)市など国内の一部地域で現代も途絶えずに生産されてはいるものの、多くが文化財の修復に充てられ、実製品にはほとんど使われていないのが現状だ。

 千本当たり採取できる漆の量は0・2トン。現在の越前漆器産地の年間消費量に換算すると5%程度ではあるが、採取可能となる10年後からは純地元産原料を使った製品が市場に送り出される。本物志向が強まる中で製品の高級化、差別化につながり、産地全体のイメージアップ効果も大きい。

 漆を採取する漆掻(か)き職人は、江戸期から昭和にかけて国内に越前の名が知られていた。毎年6月になると、河和田や越前市今立地区などから「越前衆」と呼ばれる出稼ぎ職人集団が半年間、東北や関東などの漆産地に出向いていた。「殺し掻き」と呼ぶ越前の優れた手法を普及させ作業を指揮。往時は千人を超える一大勢力だったという。

 今はほとんど姿を消しているが、組合では漆の木の成長をにらみ、漆掻き職人を育成する構想も描く。新たな職人が産地内に誕生すれば、道具の鉋(かんな)などが必要となる。かつて道具は越前打刃物産地で作られ、全国に流通した歴史がある。製造できる職人は現在も産地にいる。漆の原料が海外産に押され衰退をたどっていた一連の漆掻き文化が、植樹を機に再興へと向かってもらいたい。

 既に会津、輪島など国内の他の漆器産地でも植栽事業は始まっていて、4千本に達しているところもある。越前は後発組ではあるが、漆掻きを巡る日本の歴史を振り返ると参加する意義は大きい。

 本年度は、懸案である「漆文化」の国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産への登録申請に向け、本腰で準備を進める1年となる。登録をにらみ、越前の漆掻き文化復活の動きは後押しとなるだろう。ぜひ実現させたい。

 国内で申請準備をリードする日本漆器協同組合連合会の理事長は、越前漆器協同組合の土田直氏が務める。土田氏は「漆文化の再生とともに、新しい産地を形成する取り組みをいろいろ進めていきたい」と意気込む。今後の展開を、期待を込め見守っていきたい。

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